ニートスポーツ論

10代ニートが日本のスポーツ事情について語るブログ バレーとテニスにハマり中

スポーツで金を稼いじゃいかんのか?

スポーツで金を稼ぐための障害

どうもこの国では「スポーツで金を稼ぐこと」が賤しい行為として見られているようです。

実際に自分でビジネスを始めようとしてみて、そのことを痛感させられました。

私はバレーボールの有料サークルのようなものを始めようかと練習場所を探していたのですが、公共の体育館のほとんどが営利目的(お金を稼ぐため)の使用自体ができないのです。

ほんの一部営利目的の使用を許可している体育館もありましたが、なんと使用料として一般利用の三倍ほどの料金をとられます。

もう使わせる気ないですよね…

 

日本のスポーツ界全体でそのような風潮は見られます。

まず、「スポーツを仕事にするならプロになるしかない!」という考え方がそれです。

確かにいくら頑張ってきたとしても、プロの世界へ入れる人は限られます。

しかし、中学、高校、大学と何年もスポーツに取り組んできたが惜しくもプロになれなかった、

そんな人が生活のためにスポーツとなんの関係もない仕事を始めるなんて、あまりにもったいなくないですか?

また、スポーツが好きだけど将来のためにやめよう…なんて人もよくいます。

いやいや、好きなスポーツを頑張ってそれを仕事に結び付けましょうよ!と私は思うのです。

「スポーツで儲けるのは賤しい」というより、その発想がないという人も多いのでしょう。

 

プロのスポーツ選手にしてもそうです。

日本のプロ野球選手はあまり年棒に執着する様子を見せません。

本当にあまり関心がないということもあるのでしょうが、「執着すると世間から賤しい奴だと思われる」ということがおおいに関係しているでしょう。

今年2016年に大活躍した大谷選手も「金額は見ずにサインします!」なんて言っており、多くの方が好感を示していましたが、それを美しいと感じる感性はどうなのでしょうか。

私は、自分の成績に見合った年棒をきっちりと交渉してつかみ取ってこそのプロだと思います。

 

この国ではスポーツはあくまで青少年が清らかにプレーするものであり、そのなかで頭角を現した超一流のプロだけが仕事にしてよいのだと認識されているのです。

「スポーツはあくまで遊びである」という考えがその認識につながっているのでしょう。

 

スポーツビジネス発展のメリット

もうそんな時代遅れな認識は捨てましょう。

そもそも「遊びだから仕事にならない」という考え自体が時代遅れです。

AI(人工知能)が発達し、単純作業の仕事がどんどん減っていくなかで、遊びの需要は確実に高まっていきます。

遊びこそが仕事になる時代がすぐそこまできているのです。

スポーツは間違いなくその代表格になります。

 

また、未来の話をせずとも、現代でもスポーツの需要は充分にあり、かつ供給は不足しています。

大学生までの子どもなら部活動という環境が充分に整備されていますが、それ以外の大人のための環境が全く整備されていないのです。

テレビで見て、もしくは漫画で読んで、「俺(私)も始めてみたい!」と思い立った大人は今この瞬間にもいることでしょう。

しかし、初心者が1から始められる環境はほとんどのスポーツで整っていません。

結果、ほとんどの人が「やっぱりいいや」と諦めてしまっているでしょう。

その諦めた大人のなかに、何人天才がいたかわかりません。

日本のスポーツ界は今この瞬間も損失を出し続けています。

 

「無償」は決して健全ではない

大人がスポーツを始めるための環境が整っていない。

これはある意味当然のことだといえます。

なぜなら初心者をターゲットにしたビジネスがほとんど存在しないからです。当たり前のことですね。

むしろおかしいのは無償に近い形で練習場所と指導者を提供する部活動というシステムの方だといえるでしょう。

その証拠に、部活動というシステムにも限界がきているようです。

最近、ニュースで部活動の負担に苦しむ教師の実情がよくとりあげられていますよね。

「部活動の顧問にならない権利」を訴える活動では、3万人もの署名が集まっています。

www.asahi.com

 

「無償で提供する」という行為は、健全でなければ美しくもありません。

必ずどこかに無理をしている人がいますし、提供される側もそれが当たり前のように感じてしまいます。

お金を貰う対価として環境と指導を提供することこそが、本来健全な形なのです。

私はこれからも諦めず、バレーボールでお金を稼ぐ方法を探っていきます。

それが自分のためになり、社会のためにもなるからです。

平日の昼間にバレーをしたい

平日の昼間にバレーができない現状

私は今、週一~週三のペースでバレーサークルの練習に参加しています。

しかし、その全てが夕方、もしくは夜の練習なのです。

まあそれが当然のことであることはわかっています。

バレーでなくともスポーツサークルというものは社会人の息抜きのためにあるものだからです。

 

私は「社会人の息抜き」に文句があるわけではありません。

私が文句を言いたいのはバレーをする環境が「社会人の息抜きサークル」しかないことに対してです。

常日頃からネットで平日の昼間に活動をしているサークルを探しまくっているのですが、見つかる気配すらありません。

地元にはないというような次元ではなく、日本のどこにもないのではないかと思うほどです。

一つだけ募集を見つけはしましたが、地元から100キロ離れているうえ、2009年の書き込みでした。

 

流石にもう平日の昼間に活動しているサークルを発見するのは諦めているのですが、かといって「平日の昼間にバレーをすること」自体はまだ諦めていません。

なぜなら「平日の昼間にバレーをする需要」があることは確かだからです。

ヤフー知恵袋2chなどにはそのような環境を探す書き込みがそれなりに見受けられます。

「同志」が存在していることは確かなのに見つけられないというのはなかなかもどかしいです。

 

平日の昼間にバレーができない理由

同志を見つけるために、平日の昼間にバレーをしたいと思うような人は一体どんな人なのか、ということをよく考えています。

まず私のようなニートやフリーターが挙げられるでしょう。あとは自営業の方、主婦の方、もしくは定年を過ぎたお年寄りでしょうか。

もちろんサラリーマンより少ないことは確かなのですが、全くいないということはないはずなのです。

平日の昼間のスポーツジムも結構人はいます。

 

回りくどい文章になりましたが、「平日昼サークル」が異常に少ない原因はこれですよね。

スポーツジムには意外に人がいることではありません。

平日の昼間に予定がない人は基本的に人付き合いが苦手だからですね。

私は有り余るスポーツ愛でカバーできていますが、本来人付き合いは苦手です。

ですから知らない人ばかりが集まるサークルに入ることを億劫に思う気持ちがよくわかります。

もし「バレーをやってみたい!」と思っても、「やっぱり人付き合いが面倒だし…」で終わってしまっているのでしょう。

自分からサークルを作るなんてとんでもない!ということですね。

 

そして、もう一つ原因を挙げるとすれば、「平日の昼間に遊ぶこと」を悪だと感じる風潮が強いことです。

「いや、まあそれは働いた方が世間様の役には立ちますが、どうせ家でごろごろしているならバレーをしても同じでしょう」と私は思います。

しかし、「同志」の方々は心の中ではバレーをしたいと思っていても、罪悪感でそれを実行に移せないのかもしれません。

「好きなことをするのは自分のためになり、長い目で考えれば社会のためにもなる」そういう風潮ができてほしいものです。

 

平日の昼間にバレーをするために

もうこれはバレーボールに限った話ではありません。

個人競技ならまだ一人で練習できる余地がありますが、団体競技はやはり一人での練習には限界があるものです。

「『やりたい!』と思った人がすぐ練習に参加でき、もしハマることができれば毎日でも練習できるような環境がある」そんな社会になっていってほしいと私は思います。

 

私とバレーボールの話に戻ります。

上でも述べたように、ネットで平日の昼間に練習できる環境を探しましたが、見つけることはできなそうです。

なので、もう自分で作るしかありません。

 

自分で作ろうと考えていた初期は普通の社会人サークルのようなものをイメージしていたのですが、徐々に考えは変わりました。

もういっそ参加費を有料にし、ビジネスとして始める方が適していると思ったのです。

「サークル」に入るためには、やはり人間関係が一つの壁です。

コミュニケーション能力が高い人でも苦労することはあるでしょう。

平日の昼間にメンバーを集めるのですからそれはなおさらです。

参加費を有料にして「お客さん」として位置付けることで、人間関係を築く必要性を薄めるという狙いがあります。

ふとしたきっかけでバレーに興味をもった方が入りやすくなるはずです。

「遊び感」も薄まるので、平日の昼間に「遊ぶ」という罪悪感も多少薄まるのではと思っています。

 

ビジネスとして運営することは決定事項ですが、詳しい構想についてはまだ全くできていません。

目下の課題は練習場所です。

一般的な社会人サークルはよく小学校の体育館を借りています。

しかし、それは夜だからできることであり、平日の昼では不可能です。

そうなると市の体育館を借りるということになるのですが、営利目的の使用はどこも禁止されています。小学校の体育館でも同じでしょうけど。

民営の体育館なんてものがあるのかはわかりませんが、しばらく調査を進めます。

体育館ではないところで練習するという方法もあるかな、と少し考えています。

なんにせよ、この計画はまだ企画段階です。

 

 

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

もしかするとあなたは「平日の昼間にバレーをしたい」と思っている同志なのではないですか?

もしそうであれば、私と一緒に環境作りに取り組みませんか?

平日、社会人が忙しそうに働くなか、堂々とバレーを楽しみませんか?

コメントなどからお気軽にご連絡ください。

大人がスポーツを1から始められる環境少なすぎ問題

部活動の有難み

今はもうやっていないとしても、子どもの頃にスポーツに取り組んでいたという方は多いのではないでしょうか?

「どこで?」と聞けば、ほとんどの方が「学校、部活」と答えるはずです。

日本の文化といえる「部活動」はスポーツ振興に多大なる貢献をしています。

私が通っていた高校でも男子校だったこともあり、生徒の8割ほどが何らかの運動部に所属していました。

道具代を除けばほぼ無料ですから、スポーツ好きにとって運動部に入らない理由はありません。

さらに新入生が同時に入部することで、非常に丁寧な指導が上級生や顧問の先生から受けられるというおまけ付きです。

当時、私はその有難みがわからなかったものですが、部活動の力によって日本の若者がスポーツを始める環境は非常に整っているのです。

 

大人がスポーツを始められる環境の少なさ

一方、大人がスポーツを始めるための環境はどうでしょうか?

私はつい最近、バレーボールを1から始めてみようと思い立ち、そのための環境を探しました。

最初から「まあ簡単には見つからないだろうな」とは思っていましたが、想像以上に難航します。

スクール、クラブのようなものは全くないので、結局社会人サークルに絞って探したのですが、どれも経験者募集のサークルばかりです。

やっと初心者参加OKのサークルを一つ見つけたのは、探し始めて一か月ほど経った頃でした。

 

運良くそのサークルに参加させてもらえ、今も活動しているのですが、バレーボールを始めるためだけにこんなにも労力を使うのかと驚きました。

私ほどのスポーツ大好き人間(&暇人)であれば一か月サークルを探し続けることもできます。

しかし、ちょっとテレビで見て、もしくは漫画で読んで「バレーって楽しそうだな。やってみたいな。」と思った社会人にはそれは難しいでしょう。

「面白そうだけど面倒くさいから今はいいや」と諦めてしまうのが普通です。

 

「大人になってからスポーツに目覚める」ことができる社会を目指して

これは非常にもったいないことだと私は思います。

そうして諦めていった人たちの中にどれほど才能をもった人がいたのか、と考えてしまうのです。

どんなに凄い才能をもっていたとしても、やってみないことにはその才能が輝くことも発見されることもありません。

今の日本では、「スポーツの才能を発見することができる時期」が子ども時代に限られてしまっているのです。

 

もしかすると「大人になってからスポーツの才能に気づいても遅いよ。プロになるには間に合わない。」という意見をもつ方もいるかもしれません。

それについては私も同感です。

プロの世界は厳しいので遅くとも10代前半に始めておきたいところでしょう。

でも、必ずしもプロを目指す必要なんてないですよね。

この意見には多くの方が賛同してくれるはずです。

「趣味として嗜むだけでもいいじゃない!」と。

 

ただ、私の意見はその「趣味として嗜むだけでもいい」とは少し違います。

「才能をもっているからには、それを仕事にするべきだ」と私は思うからです。

まとめると「プロになることは難しいが、それを仕事にすることは諦めるべきではない」です。

この意見が矛盾しているなんてことはありません。

コーチ業や体育の先生などが代表的な仕事の例として挙げられますし、ビジネスの幅はもっと広いはずです。

 

この意見に対しては「もし才能が見つかったとしても社会人の多くが既に定職について特定分野のスキルが磨いているはずだし、今更スポーツに進路変更はできない!」という反論が向けられるでしょう。

もちろん私も、自分の才能を充分に活かして毎日充実して仕事をしている方にスポーツへの路を勧めるようなことはしません。

ただ、この国のサラリーマンの何パーセントが自分の才能を活かせているのでしょうか?

自信をもって「今の仕事は天職だ」と言える方がどれほどいるのでしょうか?

才能を活かせていないのであれば、才能が見つかっていないのであれば、スポーツへの進路変更を考える余地は充分にあるはずです。

 

スポーツをビジネスにするという思考が環境作りの第一歩

話が横道に逸れたような気もしますが、あながちそんなこともありません。

結論から述べると、日本で大人になってからスポーツを始めることが難しい要因として、「『スポーツをビジネスにするという思考』が欠如していること」が挙げられるのです。

上で述べたように、日本人の多くが「スポーツは(プロ以外)仕事にならない」と思っています。

中学、高校、大学とずっと同じスポーツをやっていたのに、就職となると大手企業の総合職を志望する…なんて人はたくさんいますよね。

しかし、私のようにスポーツを1から始めたいと思っている人間が全国にたくさんいるのですから、需要があることは間違いありません。

仕事にならないと思うのは創造力不足というもので、仕事に結びつける路は無限にあります。

 

そして誰もビジネスに結び付けようとしないからこそ、大人が1からスポーツを始めるための環境が存在しないのです。

上で述べたように私の場合は運よく社会人サークルに紛れ込むことができましたが、それは邪道な方法です。

社会人サークルはあくまで経験者が集まって遊ぶためのものですし、基礎はできてあたりまえです。

初心者が入っても指導を受けることはできず、基礎がおろそかになるので急速な上達も見込めません。

事実、私も満足のいく指導は受けられず、上手い人のプレーを見て学んでいます。

 

初心者が1からスポーツを始めるためには、やはり指導者が必要です。

もちろん指導を受けるとなれば無料というわけにはいきませんが、それこそが健全な形なのです。

お金を払ってスポーツの指導を受ける、またお金をもらってスポーツの指導をする、そういう行為が当たり前になれば、大人がスポーツを気軽に始められる社会になっていくことでしょう。

 

みんな、スポーツを金にしよう。